プロフィール

CHIAKI

Author:CHIAKI
誕生日:1975年1月10日 6時頃
血液型:O型
出身地:北海道
はじめての方へ:「はじめまして」をお読みください

自己紹介:三十路の独身、現在無職。
介護ってほんとに大変です。おかげで「介護ウツ」になり、自分の闘病生活もはじまりました。母は20年7月1日天国へ旅立ちました。





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認知症の祖母

怒らないからさぁ便座カバー濡らしたらゆってよ!
ねぇ母さん!



今日は認知症(ぜんぜん軽度・多分要支援)の祖母と母の話をするね。
少し長くなっちゃうかもしれないけどごめんなさい。


母方の祖父は私が幼い頃、パーキンソン病を患い亡くなりました。
祖母(母の母)には、母がパーキンソンであるということを2004年の夏くらいに言っていました。
(当時実際診断名がパーキンソンだったので。)
「おじいちゃんの悪いとこもらっちゃって…」
祖母は大変落ち込んでいたようです。

母の望みは
死ぬ前に一度故郷へ、母のもとへ帰ることでした。
それはもう何度も何度も、ケアマネさんにまで言っていました。
「でもこんな体じゃ、バスにも電車にも飛行機にも乗れやしない」
その母の望みはいつしか私の望みにもなっていました。
どうにかして祖母に会わせてあげたい
故郷に一度でいいから返してあげたい…


北海道はとても大きく、中央に大雪山という山があり
JRや交通の路線はその中央を迂回した道しかありません。
残念ながら祖母の家は山の向こう。こっちは山の前。
車で移動しても9時間はかかります。
飛行機は車椅子を借りたら乗れるかもしれないけど
各飛行場への連絡バスが不便で使えるものではありませんでした。

去年の春になり、うつ病になった私は、親切な親戚の家へ
何度か数日間療養に行く(原因となった介護から離れる)ことがありました。
家から一番近い、電車で2時間のところに棲む叔母(母の妹)にポツリと言いました。
何のタイミングでか忘れたほど ほんとにポツリと言ったんです。
母の夢のこと。

「私たちお盆に車でいくから、一緒に乗っていったらいいじゃん!」

明るい叔母の言葉にびっくり。
その家ではちょうど車を8人乗りに買い替えたばかり。
乗せてくれるのはありがたいけど…と言っていると
叔母と従兄弟でトントンと話を進め、運転手である叔父も快く引き受けてくれ、母の夢が 夢じゃない話になりました。

道の駅やコンビニでバリアフリーのトイレの場所を調べておいてくれた従兄弟、私が言うと遠慮するからと、叔母に母に伝えてもらい、すごくすごく喜んでいたということ。
「一度帰りたいと思ってたんだぁ」と、叔母にとっては、私の一言が無ければ耳にも入らない夢でした。

ただ問題がありました。

祖母が認知症であるということです。

パーキンソンだけど元気にやっている ということになっている娘。
それが違う病名を携え、人の手を借りなければ歩行もままならず、杖(四点杖)をついてあるいているということ。
泊まりにいくには祖母のつかっているベッドを借りなきゃいけないこと。トイレ介助などが必要であること…

それを認知症の祖母に伝えるのは、祖母の隣の家に住む叔母(母の姉)の仕事でした。
出発のギリギリまで黙っておいて
行く前前日に話すことになりました。
時間をおいて祖母がパニックになってはいけないと思ったからです。

その日は祖母の調子が良かったのか、それともよくわからなかったのか、ふぅん、そう、というあっさりした返事だったそうです。

仏壇に供えるお菓子と、従兄弟の娘たちへのお土産を買い求め、いざ出発。
我が家から父に運転してもらい、その叔母の家へ行き、車を乗り換え。
長い道のりをかけてとうとう祖母の家へつきました。

祖母は本当に母を大事に大事にしてくれました。
歓迎の挨拶からずっと手をひき。
特等席に案内してからは自分はずっとその横にベッタリ。
トイレだと言えば杖を探し
(従兄弟の娘が、形が珍しいからかすぐおもちゃにしてしまい、母からだいぶ離れた場所に放置されまくりだったんです)
母がいた3泊4日ずっとずっと横にいて、時には手をつなぎ、母のことを励まし続けていました。(同じことを何度も言う上言いたいことも同じことなので、いったいどれだけはげまされたかわかりません)

きっと祖母も幸せだったし、母は満面の笑みで写真に写っていました。

うつで私は母の世話をやけない分、料理など腕をふるいました。
(母相手じゃなければ料理できたんですよね、不思議と。)

楽しかった時間はあっとゆうまに過ぎ
お別れの時間。
最後の最後まで祖母は母の手を離しませんでした。

帰りは叔父が自宅まで直行で送ってくれました。
途中トイレが間に合わずおもらししてしまうこともありましたが
無事に帰ってくることができました。

叔父が「元気だったら来年も連れて行くから。」と言ってくれたのが
「今の私」のはげみになっています。

どうか今年のお盆も連れて行けますように。
(仕事休みもらえますように…)
昨年よりもっと歩けなくなった母。
どうかがんばって歩行訓練して、今年も行こうね。

まだ一回も言ってません。母には。
今年も行こうね。
だって私が休めるかわかんないからーー;

この話には後日談もあります。
それはまたの機会に。

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コメント

大きな励み

とてもいいお話で感激して読みました。
お母さんの長年の夢を実現させるのは大変な苦労があったことでしょうね。
お祖母さんも、どんなにか喜ばれた事でしょう。
私は、現在は東北地方在住ですが北海道出身なので、病人を連れての道内の移動の過酷さは想像出来ます。
一人の力では出来ません。みなさんの協力と温かい支援を得られて本当に良かったですね。
また今年も行きたいと言う気持ちが、お母さんにとってもCHIAKIさんにとっても大きな励みになると思います。
みなさんの力をお借りして、夏の最大イベントとして定着できればいいですね。

温かいお話です。夢中になって読んでました。僕は最近、福祉住環境コーディネーターを取得しましたが、こういった環境の大変さも想像以上だと思います。僕も少しでもハッピーライフを迎えれるようなコーディネーターを目指しますのでお互いに頑張りましょう(^^)
ちなみに、僕のブログは親父のために作っているものです。少しづつ福祉住環境のことも書いてみたいと思っています。

nihaoさんへ

嫁子さんも北海道出身なんですか~
交通の便悪すぎますよね><
本数も少ないし…時間はかかるし…

従兄弟一家が協力してくれて、本当に良かったと思います。
わたしがウツにならなかったら、従兄弟の家にいかなかったら、かなわなかった夢なんですよね。
今年も行けるよう、早々に店長に打診して、母には歩行訓練やらせたいと思ってます。

ヒロさんへ

福祉住環境コーディネーターってどんなお仕事なのでしょう?
読んで字のごとくかしら。
少しでも環境が良くなっていって、バリアフリーの箇所が増えたりして、母も暮らしやすくなるといいと思います。(まずは住宅改修なんですけどね)
お互いがんばりましょう^^

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